ソウルレスな日記。
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それって一体なんなのだろうかとふと思うことがある。
例えばコミュニティだったら小学校、中・高、大学という友人区分と親族区分がある。
まあそれらのうちどれもこれもというわけではないが、居心地はいい。
逆に一人でいるときも居心地の良さを感じることはある。
家だとか、大学のキャンパスなんかはある意味じゃあ他人から孤立してるわりに居心地がいい。
じゃあ居心地がいいってのは一体どういうことなのさ、と。
明らかに他人といるときと、一人でいるときの居心地のよさは性質が違う。
っつうわけで、必然的に前者と後者を分けて考えてみる必要があるわけだよ。
簡単な感じで後者からいこうか。これの場合やっぱ決め手は利便性だろうか。
別に楽に暮らしていくための、だけではなくて、時間を潰すという面においてもだ。
まあ元々人付き合いってのを積極的にしようと思わないから、こっちの居心地のよさを優先しがちだけど。
それでもいつの間にか心に隙間が生まれそうな、若干不健康な感じの居心地の良さではあるかなあ。
問題は前者だ。意味が俺にはよくわからん。なんでそう思うかという理由もわからん。
多分コミュニケーションというものの根源的な部分にかかってくるんだろうけど・・・。
果たして言いたいことが言えるからそこに居心地の良さを見出すのか。
それとも周りの皆が皆、自分を褒めて認めてくれるからそういう風になるのか。
別に下の要素がなくても全然居心地いい空間はあるし、上がなくたってそうでもある。
こういう要素っつうのは一体いくつくらいあるんだろうな。多すぎて挙げきれないんだろう。
だからこそ人付き合いは難しいというか、めんどくさいというか。
上っ面だけの友好だけでは人間は居付くことはない。
例えば外観とか立地条件完璧でも、隣人がうるさいだとか、お湯がでないとか、そんな家は嫌だろ。
結局人間と付き合うためには、その相手と居心地のいい空間を作らないといけない。
だからといってまあ何が言いたかったわけでもないんだけどさ。
なんとなくそんなことを考えたかっただけだよ。
そう、これだから一度作り上げた絆や友情、愛情は簡単には消えはしないんだろうな。
例えばコミュニティだったら小学校、中・高、大学という友人区分と親族区分がある。
まあそれらのうちどれもこれもというわけではないが、居心地はいい。
逆に一人でいるときも居心地の良さを感じることはある。
家だとか、大学のキャンパスなんかはある意味じゃあ他人から孤立してるわりに居心地がいい。
じゃあ居心地がいいってのは一体どういうことなのさ、と。
明らかに他人といるときと、一人でいるときの居心地のよさは性質が違う。
っつうわけで、必然的に前者と後者を分けて考えてみる必要があるわけだよ。
簡単な感じで後者からいこうか。これの場合やっぱ決め手は利便性だろうか。
別に楽に暮らしていくための、だけではなくて、時間を潰すという面においてもだ。
まあ元々人付き合いってのを積極的にしようと思わないから、こっちの居心地のよさを優先しがちだけど。
それでもいつの間にか心に隙間が生まれそうな、若干不健康な感じの居心地の良さではあるかなあ。
問題は前者だ。意味が俺にはよくわからん。なんでそう思うかという理由もわからん。
多分コミュニケーションというものの根源的な部分にかかってくるんだろうけど・・・。
果たして言いたいことが言えるからそこに居心地の良さを見出すのか。
それとも周りの皆が皆、自分を褒めて認めてくれるからそういう風になるのか。
別に下の要素がなくても全然居心地いい空間はあるし、上がなくたってそうでもある。
こういう要素っつうのは一体いくつくらいあるんだろうな。多すぎて挙げきれないんだろう。
だからこそ人付き合いは難しいというか、めんどくさいというか。
上っ面だけの友好だけでは人間は居付くことはない。
例えば外観とか立地条件完璧でも、隣人がうるさいだとか、お湯がでないとか、そんな家は嫌だろ。
結局人間と付き合うためには、その相手と居心地のいい空間を作らないといけない。
だからといってまあ何が言いたかったわけでもないんだけどさ。
なんとなくそんなことを考えたかっただけだよ。
そう、これだから一度作り上げた絆や友情、愛情は簡単には消えはしないんだろうな。
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